梅田の歴史

今でこそ大阪で最大の繁華街である梅田ですが、実は昔は全然冴えない土地だったのはご存知でしょうか。
「うめだ」という名前の由来を辿ると、起源は江戸時代にまで遡ります。当時の梅田地区は湿原の広がる「下原」という土地でした。
そこを埋め立てて利用する際に「埋田」という地名がついたのです。今とは字が違いますが、これが梅田の地名のルーツです。
後に埋田では字面が悪いということから、現在の「梅田」に解明されます。「梅」の字は今も残る露天神社に縁のある梅から取られました。
梅田の名前に大きく関係している露天神社は、今でも「お初天神」の名で多くの大阪人に愛されています。

1974年頃には梅田へ至る街道「梅田道」が拓かれますが、その当時はまだ梅田地域は「ドタ」と言われる田畑の広がる寂しい土地で、今の繁華街は面影すらありません。
そんな梅田が繁華街としての当確を現し始めるのは、鉄道の発展とともにです。
187年に大阪駅が誕生します。当時は「大阪すてんしょ」と呼ばれ、現在の大阪中央郵便局跡地に建てられていましたので、厳密に言うと今の大阪駅とは異なります。
ちなみに「大阪すてんしょ」の建設は、周辺住民からの猛反対を受け、待ちの外れに作られることになりました。
その結果として大阪駅は現在の場所になり、そこが梅田の中心になったのです。

その後は大阪駅を中心に、梅田はどんどん活気づいていきます。明治時代には大阪から産業が興り、人口もどんどん増えていきました。
しかしここで戦争が始まります。空襲によって大阪の街は消失し、梅田も例に漏れず甚大な被害を蒙りました。
でも、そんなことに負けないのが大阪人です。戦後の混乱期、大阪駅周辺では大規模な闇市が開かれました。戦後の早い段階から、大阪は商人気質を発揮していたのです。
その後は大阪の再開発は大阪駅を中心とした北エリア、すなわち梅田をメインに進んでいきます。

その後は御存知の通り、日本は高度経済成長を遂げます。それにともなって梅田もどんどん栄えていきます。
特に大きな出来事は大阪万博で、万博に伴った御堂筋の整理によって、梅田はいよいよ大阪の中心としての存在感を増していきます。
現在の梅田は、関西でも最大の繁華街に成長し、今やその名を知らない人はいません。
梅田を今ほど大きく発展させたのは、戦後の闇市を盛り上げた商売人気質と、いくら空襲にあっても諦めない根性があったのではないでしょうか。
梅田の歴史を知ることで、より梅田という街を楽しめるようになります。今度訪れる際はお初天神など歴史的ん良いミのある場所を巡るのも面白いかもしれませんね。